PGノベルという独自ジャンルの活動に至るまでと、そこから現在までの歩みを書き出しています。
[2019年]
公私ともに色々あり、仕事に専念するため、活動休止状態が続く。
趣味のゲーム制作のほうに時間を割いて、こちらの活動は放置状態だが、どんな経験も糧になることは知っているので、あえて好きなように行動し続ける。
趣味のゲーム制作が完成し、遊んでくれる方々が集まり、そうした交流の楽しさを思い出す。
その経験も持ち寄って、PGノベル活動の再開を準備しはじめる。
[2018年]
新作のコンテを書きはじめる。展示方法や交流の広め方について改めて模索しはじめる。
[2017年]
活動再開できなくても、機会さえあれば、独自ジャンルとしての立ち位置の確認を続ける。
タロットと出会い、記号的要素や前後関係で読み取ることや、カラーリングに斜線を使うことなどに、PGノベルとの共通点を感じるも、目的や役割が異なることを確認する。
あるいは、仕事として海外の現代アート売買サイトについて調べる機会があった。その結果、売買にはキュレーターの存在が鍵であり、キュレーターに見せるアーティストステイトメントというものが重要であることを知る。どちらも自分がプレゼンでやろうとしてきたことに近いことを知る。
いろんなことがひと段落つき、活動再開にむけて、プレゼンの重みを増やすために過去作品の無料公開をはじめる。
[2016年]
活動再開に向けて、PGノベル新作の制作発表もかねてプレゼン開催するも、数名の方に事前販売するのみにとどまる。
[2013年〜2015年]
とあるゲーム会社のグラフィックデザイナーの方から「あなたはコンセプチュアルアートに属する」と言われる。調べた結果、似て非なるものであることがわかるが、大きな参考となる。
「これは版画ですか」と聞かれることが多かったので、自分としてもはっきりさせるため、木版画家の先生に師事する。制作課題として、既存イラストグラフィ作品の木版画化を行う。
コンセプトのプレゼンをそろそろ開始しようと思うなか、市のホールで海外絵本作家のライブイベントをがあることを知り、なんとなく鑑賞に行く。その内容は制作デモンストレーションと終了後の作品販売であり、プレゼンと販売という流れと近しいものを感じた刺激を受け、その開始に向けて進む。
市の会議室でプロジェクタを借りてPGノベルのコンセプトのプレゼンを開催し、作品群を試験的に販売して10万円を売り上げ、今後の活動の骨子が固まって行く。
販売した作品としては、木版画家として実験的に花のイラストグラフィを製作、数点を販売、概ね良い評価を得る。しかしそれまでよく売れていたイラストグラフィのほうが売れると思ったが、実際はPGノベルのほうがよく売れたため、プレゼンとPGノベルの親和性を実感するとともに、PGノベルの活動らしさの実感をつかむ。
[2011年〜2013年]
クラウドファンディングのサービスで過去に評判の良かったPGノベル作品(INVITATIONS FROM WIND AND LIGHT)のリメイクを考え印刷費を集めるも、前回の半分にも満たない結果を受けて、「VANSTAR」の成功は告知や集客がたまたまサービスの力で得られていたことを自覚し、自分でそれを行う重要性を知る。
それ以降、コンセプトのプレゼン資料を作り始め、その内容が固まりはじめる。
しかし仕事が忙しく、活動休止状態となる。
[2008年〜2011年]
PGノベルを垢抜けさせるため、浮かぶイメージそのまま制作しては、漫画や映画や小説でも表現できると感じた時点で破壊する、ということを繰り返す(陶芸家が「これじゃない!」と作品を割るような感じ?)。結果、PGノベルの基本型となる作品が完成する(KING OF CHRONOS)。
これをどうやってお金にするのかを模索し始める。クリエイター市場、近所のお店に出品してもらうなど試したが、反応がなかった。でもお店の方のポップアップは、店長の方なりの想いを書いてもらえたのが嬉しかった。ただし、ポップアップではとても伝えきれないことを自覚した。その経験から、価値を伝えるためのコンセプトのプレゼンの必要性を感じる。製作自体は2作目も独自ジャンルとしての疑問を感じず手応えがあり良好。
パトロンという形式でやれないか模索していたところ、クラウドファンディングのサービスが日本国内でローンチ前であることを知る。初代アート部門で参加し、3作目の印刷費10万円を集める(VANSTAR)。コンセプトのプレゼンから作品を届けるまでの流れを初歩的にこなした形となる。
そのかたわら渡印の際、ジャイナ教の阿闍梨の直弟子の方から、阿闍梨のイラストグラフィを制作する機会をいただく。気負いなく淡々と取り組めたことで、いつも魂こめてやっていたことを再認識する。
[2007年]
PGノベルを作り続けるが、単なるイラスト集になりがちで、行き詰まる(「RUN」などの作品の時期)。
PGノベルでなければならない理由がなく、漫画や映画でも小説でも良い状態。なぜPGノベルで表現するのかを掘り下げた結果、漫画にも映画にも小説にもならない、かといって言葉で伝えても聞き流されるような小さな日常の気づきを持ち上げて象徴的に描きたいという欲求が明確になる。
自分のモチベーションが「自分が欲しいけど存在しない」であることも再認識する。
飛行機内の暇を雑誌で潰していたときに思いついたモノローグノベル(WISTERIA)を実験的に制作する。
このころから弟の案で作成した祖母へのプレゼントをきっかけにイラストグラフィも作り始める。
[2006年]
こんな作品を見てみたい。でも世の中に存在しない。しかたがないから自分で作るしかない。というのが自分の動機だったことに立ち返って、いったん作品を好きに殴り描いた(OMNI SHADOW)。
ジャンルとして地位を向上させるため、汎用化を考える。ライトでわかりやすいものを目指した作品(BATHTUB PRAISE)に着手し完成させる。
趣味のゲーム制作でも同様の手順で理解者が増えて評価が高くなった経験があり、この経験を応用してみた。
結果、理解されやすくはなったが、たくさんの人に触れるには程遠いものだった。
その後、もっと簡素化させた作品も制作しはじめる(「INVITATION FROM WIND AND LIGHT」など)。
周囲から、これは絵本だと評され、絵本はなんでもありということを聞いたのもあり、絵本出版社への持ち込みと投稿をはじめる。結果、面白いけど絵本じゃないと言われて、絵本とは違うことがわかる。
独自ジャンルは独善的な思い込みがほとんどだと思い、自分が属するジャンルを探した末、ワードレスノベルというジャンルを見つける。その作品群を見た結果、目指している方向性は近いけど全く違うと感じ、独自ジャンルとして作ろうと考えるようになる。
分野を問わずいろんな出版社に持ち込みと投稿をした結果、とある出版社の編集長の方に「新しいジャンルができている」と評され、独自ジャンルとする覚悟が決まる。
このとき女性誌に持ち込むと良いのではないかと提案され、数社に投稿するが、何らかの採用などの評価に繋がらず。
[1995年〜2006年]
ゲームを自作したり、漫画を本格的に描きはじめる。インクで手が汚れるのが嫌で、A3スキャナとB4レーザープリンタを買い、Photoshopでマンガを制作するようになる。それでも道具に左右されるのを嫌い、主線だけは筆一本で描く。
マンガで自分が出したい感覚、新しい表現をしようと、戦前マンガも含めてその表現のルーツなどを温故知新してなぞりながら模索する。
漫画の投稿と持ち込みを続けた結果、やろうとしてることは漫画じゃないと感じる。
また、絵の上手さをつきつめたい欲求がないことを自覚する。
[1987年〜]
父の仕事の関係で3年半ほど米国で育つ。カッティングエッジで透明性があって大味で威勢の良いものを好む傾向が出てくる。帰国後の中学では、サボれるという理由から美術部に参加、油絵とエッチングの初歩を経験し、面倒臭さと手が汚れることを自分がとにかく嫌いなのを自覚する。
消費者としては、作り手の個性が色濃く出て大味で威勢が良いものを好んだ。たんに癖が強いだけのものは嫌い、個性と癖の違いとは何かを考え始めて、こだわるようになる。
[1976年〜]
祖父所有「のらくろ」やお気に入りの「どらえもん」を読んで、ノート用紙にマンガを描いていた。道端で拾ったもので弟の誕生日プレゼントのオブジェを作り、弟に若干ひかれた。ただし成人後、プロの音楽アーティストとなった弟から「あれはよかった」的な感想を受ける。誰かへの想いながら道端で拾ったもので何かを作ったら価値を持っても良いのではと思っていたがそれが少しでも伝わったような気がした。