活動の歩み

PGノベルという独自ジャンルの活動に至るまでと、そこから現在までの歩みを書き出しています。

[2018年]
新作のコンテを書きはじめる。展示方法や交流の広め方について改めて模索しはじめる。

[2017年]
とあるご縁によりタロットと出会い、記号的要素や前後関係で読み取ることや、カラーリングに斜線を使うことなどに、PGノベルとの共通点を感じるも目的や役割が異なることを確認する。
とある機会により海外の現代アート売買サイトについて調べる。その結果、キュレーターの存在が鍵であり、キュレーターに見せるアーティストステイトメントというものが重要であることを知る。どちらも自分がプレゼンでやろうとしてきたことに近いことを知る。
ひと段落つき、活動を再開しはじめ、プレゼンの重みを増やすために過去作品の無料公開をはじめる。

[2016年]
活動再開に向けて、PGノベル新作の制作発表もかねてプレゼン開催するも、数名の方に事前販売するのみにとどまる。

[2013年〜2015年]
活動休止中だが人との交流は続けた。
とあるゲーム会社のグラフィックデザイナーの方から「あなたはコンセプチュアルアートに属する」と言われる。調べた結果、これも似て非なるものであることが明確になるが、大きな参考となる。
「これは版画ですか」と聞かれることが多かったので、自分としてもはっきりさせるため、木版画家の先生に師事。制作課題として、既存イラストグラフィ作品の木版画化を行う。
コンセプトのプレゼンをそろそろ開始しようと考えるも、やっていいものかどうかふんぎりがつかずにいたなか、市のホールで海外絵本作家のライブイベントをがあることを知り、なんとなく鑑賞に行く。その内容は制作デモンストレーションと終了後の作品販売であり、プレゼンと販売という流れと近しいものを感じ、既成概念が外れて、ふんぎりがつく。
市の会議室でプロジェクタを借りてPGノベルのコンセプトのプレゼンを開催し、作品群を試験的に販売して10万円を売り上げ、今後の活動の骨子が固まって行く。
販売した作品には、木版画家として実験的に花のイラストグラフィを製作、数点を販売、概ね良い評価を得る。当初はそれまでよく売れていたイラストグラフィのほうが売れると思ったが、実際はPGノベルのほうがよく売れたため、プレゼンとPGノベルの親和性を実感するとともに、PGノベルの活動らしさの実感をつかむ。

[2011年〜2013年]
コンセプトのプレゼン資料を作り始め、その内容が固まりはじめる。
クラウドファンディングのサイトで過去に評判の良かったPGノベル作品(INVITATIONS FROM WIND AND LIGHT)のリメイクを考え印刷費を集めるも、前回の半分にも満たない結果を受けて、告知や集客の重要性を知る。
仕事が忙しく、活動休止状態となる。

[2008年〜2011年]
PGノベルを垢抜けさせるため、浮かぶイメージそのまま制作しては、漫画や映画や小説でも表現できると感じた時点で破壊する、ということを繰り返す。結果、PGノベルの基本型となる作品が完成する(KING OF CHRONOS)。
これをどうやってお金にするのかを模索し始める。試行錯誤の末、価値を伝えるためのコンセプトのプレゼンの必要性を感じる。製作自体は2作目も迷いなく手応えがあり良好。
パトロンという形式でやれないか模索していたところ、クラウドファンディングが日本国内でローンチ前であることを知る。初代アート部門で参加し、3作目の印刷費10万円を集める(VANSTAR)。コンセプトのプレゼンから作品を届けるまでの流れを初歩的にこなした形となる。
そんなかたわらインド系の瞑想修行で渡印の際、ジャイナ教のアーチャリア(阿闍梨)の直弟子の方から、アーチャリアのイラストグラフィを制作する機会をいただく。気負いなく淡々と取り組めたことで、いつも魂こめてやっていたことを再認識する。

[2007年]
PGノベルを作り続けるが、単なるイラスト集になりがちで、行き詰まる。
PGノベルでなければならない理由がなく、漫画や映画でも小説でも良い状態。なぜPGノベルで表現するのかを掘り下げた結果、漫画にも映画にも小説にもならない、かといって言葉で伝えても聞き流されるような小さな日常の気づきを持ち上げて象徴的に描きたいという欲求が明確になる。
自分のモチベーションが「自分が欲しいけど存在しない」であることも再認識する。
飛行機内の暇を雑誌で潰していたときに思いついたモノローグノベル(WISTERIA)を実験的に制作する。
このころから弟の案で作成した祖母へのプレゼントをきっかけにイラストグラフィも作り始める。

[2006年]
こんな作品を見てみたい。でも世の中に存在しない。しかたがないから自分で作るしかない。そういう想いがつのり、PGノベルの原型となる作品を殴り描きする(OMNI SHADOW)。
ジャンルとして地位を向上させるため、汎用化を考える。持病で入院中、ライトでわかりやすいものを目指した作品(BATHTUB PRAISE)に着手し完成させる。
思うままに制作を続ける。見た目が絵本に近いのと、絵本はなんでもありということを聞いて、絵本出版社への持ち込みと投稿をはじめる。結果、絵本じゃないことも明確になり、独自ジャンルを創作せざるを得なくなる。
独善的で思い込みがほとんどである独自ジャンルという道を避けるため、自分が属するジャンルを探した末、ワードレスノベルというジャンルを見つける。その作品群を見た結果、目指している方向性は近いが、惜しくも異なる道だと明確に感じ、独自ジャンルを作るしかないことがほぼ決定的になる。
そこからは分野を問わずいろんな出版社に持ち込みと投稿をした結果、とある出版社の編集長から「新しいジャンルができている」と評され、独自ジャンルとする覚悟が決まる。

[1995年〜2006年]
ゲームを自作したり、漫画を本格的に描きはじめる。マンガを描く際にインクで手が汚れるのを嫌い、A3スキャナとB4レーザープリンタを買い、Photoshopでマンガを制作するようになる。それでも道具に左右されるのを嫌い、主線だけは筆一本で描く。
マンガで自分が出したい感覚、新しい表現をしようと、戦前マンガも含めてその表現のルーツなどを温故知新してなぞりながら模索する。
漫画の投稿と持ち込みを続けた結果、やろうとしてることはマンガじゃないことが明確になる。やりたくないことを仕事としてやるのなら、別にほかの仕事でもいいと考え、マンガをやめる。

[1987年〜]
父の仕事の関係で3年半ほど米国で育つ。カッティングエッジで透明性があって大味で威勢の良いものを好む傾向が出てくる。帰国後の中学では、サボれるという理由から美術部に参加、油絵とエッチングの初歩を経験し、手が汚れることを嫌うようになる。
それでも版画が好きで、PGノベルを作っていることは版画の感覚がどこかにあるようにも思える。
消費者としては、作り手の個性が色濃く出て大味で威勢が良いものを好んだ。たんに癖が強いだけのものは嫌い、個性と癖の違いとは何かを考え始める。

[1976年〜]
祖父所有「のらくろ」やお気に入りの「どらえもん」を読んで、ノート用紙にマンガを描いていた。道端で拾ったもので弟の誕生日プレゼントのオブジェを作り、弟に若干ひかれた。ただし成人後、プロの音楽アーティストとなった弟から「あれはよかった」的な感想を受ける。誰かへの想いながら道端で拾ったもので何かを作ったら価値を持っても良いのではと思っていたがそれが少しでも伝わったような気がした。